父母妹を失い、音をも失った“ろう者”にとって、 神の存在とは?
2011年3月11日、東日本大震災が襲うわずか四ヶ月前、ほぼ半世紀を過ごした都会に別れを告げ、大分の瘤(国東半島)に越してきた。
ぼく自身、心ならずも生活に追われ、読書・執筆を断念してきたことの回復もあるだろう。差別・無視・蔑視の煩わしさからの逃避も・・・。
それでもなお、ぼく自身の半世紀にわたるカタワとして生きてきた証しを、常に渇望してきた。社会に出て仕事に追われながらも、
原稿にノートに向かい腱鞘炎を患うまで書き溜めてきたが原稿の末尾に「完」の文字を記すことは叶わなかった。
この稿をいつごろ書き始め「完」の文字を記すに至ったのか記憶はないが・・・。最初にお断りしておくが、ぼく自身ろう者であり、
物語に書かれた考えなり思想は、あくまでもぼく自身の見解である。
誤解のないように記載すれば、ろうあ者は多様であることを理解の上で読んでいただければ幸いである。 (本書「あとがき」より)
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